2013年 08月 03日

富貴蘭も文化的に…

東海園は、初代園主である私の親父が創業してから、御陰様で50年になります。

私の親父は、左眼が見えない状態で、この世に生を受け、また私が小学生の頃には網膜剥離という病で、右眼も失明しました。

創業当初は、観音竹や観葉植物等が商いの対象でしたが、よくこの仕事を続けてこれたと、今でも不思議なくらいです。

日本はその頃、高度成長の好景気で観葉植物から始まった観音竹や恵蘭の大ブームでした。

特に観音竹の特定の品種は、1000万単位での取り引き。

今の貨幣価値から換算しますと、一鉢が億単位になります。

相場は急高騰、急降下を繰り返していたと思います。

私は幼少の頃から、この業界(古典園芸)の、空気に触れながら、その中心で育ちました。

親父は、当時業界では有名な旦那衆の一人、キャバレー王と言われた赤坂ミカドの故小浪氏とも、交流がありました。

氏は誰もが認める観音竹、恵蘭、寒蘭、春蘭のー級品を収集された、日本ーの大旦那。

赤坂のミカド(顧客は著名人が多く、500人位収容出来るグランドキャバレー)の屋上には、大きな蘭舎があって、専属の番頭さん(退職後に蘭商になられた故佐藤氏)が管理されておりました。

聞き分けのないイタズラっ子の私は、よく小浪氏に嗜められたり、膝の上で遊んでいた記憶が御座います。

東海園で春蘭や富貴蘭を商いするようになったのは、約30年前からになります。

18歳から2年間、親父の仕事を手伝い、20歳になった時、私は独立したいと親父に頼みました。

当初資金200万を親父借りて、蘭の行商が始まりました。

今でも親父に感謝していることは、『可愛い子には旅をさせろ』と云う格言通りに『ー生一度の人生だ、自由にやってみろ!』と私を1人で旅に出してくれたことです。

しかし自由と云うのは、責任も全部自分に降りかかってくるものです。

駆け出しの頃は、随分騙されたり、偽物を掴まされたり、自分の思い込みでハマッテしまったり、良い勉強もさせて頂きましたが…

今まではそれも、いい思い出であり、肥しになっていると思います。

世の中の仕組みも、流通形態も替わりつつありますが、私の基本系は、ヤッパリ行商なのかな…

今考えているのは、シャネルのブティックの隣、東京原宿表参道に仲のいい骨董屋さんがいるので、店先を間借りして、蓙をしいて露店商をやってみたいこと…

世田谷のボロ市もいいかも…

江戸では、朝顔市やらホオズキ市など、何百年もの歴史があり、全国的に知られていて、文化的要素が高い祭り事が御座いますが、富貴蘭も200年ちかい歴史があるもの、
この路線でも、行けるのでは無いかと思っているのですが、如何でしょうか…

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by 0130hide | 2013-08-03 07:07 | 蘭亭 コラム
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